アラン・リックマンとわたし

私はいわゆるOLだ。
私という人間を履歴書で表現すると、恐ろしく平々凡々な人間に思われるだろう。
短編小説の主人公かと思えるほど平々凡々な人生を歩んでいる。

私は日々、自問自答している。

「ずっとこの職場にいていいのか、もっとストレスフリーな環境が会社があるんじゃないか、というか今どきは組織に所属しなくても働き方なんてたくさんあるだろ…」

しかし、一方ではある程度は現状に満足しているし、自分自身を説明するときにはOLですと言うことができる。
たぶんキンキラキンではない普通のクレジットカードなら作れるし、保険や携帯電話も難なく契約できる。

会社員という立場は私に悩みをもたらしつつも、社会的信用を与えてくれているという事実は認識はしている。
ストレスや時間と引換に、給料と一定の社会的信用を得ている…と考えることもできる。

そもそも自分が会社員でなくなったら一体何者になるのか、正直わからない。

未就学児、学生、会社員と生きてきた。
会社員でなくなったら自分をどう説明するのか。
そんなことを考えていた昼休み、思い立った。

「私は…アラン・リックマンが好きであり、アラン・リックマンのファンだ。でもこのままじゃいけない…発信するのだ…!私とアラン・リックマンの物語を!!」

ということでアラン・リックマンファンとしての私をここに記したい。

私がアラン・リックマンに出会ったのはおそらく2002年の11月。
映画「ハリー・ポッターと秘密の部屋」公開前後、自宅のテレビの前。

そのおよそ1年ほど前に映画「ハリー・ポッターと賢者の石」が公開され、「ハリー・ポッター」は社会現象のようだった。
メディアで大々的に取り上げられていたし、学校でも原作ファンの子が映画を見てきたというような話をして盛り上がっていた

私はなぜか秘密の部屋公開前後にハリー・ポッターに興味を持ち、今では見かけることもなくなったレンタルビデオ、VHSを借りた。

日が短くなって冬の足音を感じ始めた時期、ハリー・ポッターと賢者の石を初めて見た。
当時、ハリーと同世代で、片田舎に住み何となく窮屈さを感じていた自分にとっては、居場所のない家からホグワーツや魔法界という新たな世界に飛び込むハリーから目が離せなくなった。

ダイアゴン横丁に初めて足を踏み入れるあたりですでに「ハリー・ポッター、おもしろい!原作も(当時の最新刊だった)4巻まで読む!」と思いながら見ていた。
そしてホグワーツで組み分けが終わった後の談笑のシーン、アラン・リックマン演じるスネイプの初登場。

なんか…好き。
好き。

そこからレンタルしたビデオを1週間のうちに何回も見た。
特にスネイプが出演したシーンは、テープを擦り切れさせてやると意気込みながら見た。
ビデオを返した後もハリー・ポッターの原作を図書館や友人から借りてスネイプのことをできるだけ理解するようにした。

そして、スネイプを演じた俳優さんのことも気になる。
アラン・リックマンという俳優…

しかし、当時は自宅にネット環境もなく、私には携帯電話もない。
今でこそ、辞書を駆使ししつつも英語のインタビュー記事を読んである程度の内容を理解することはできるが、当時は英語なんて何もわからない。
日本人の私が家にいながら得られる情報はゼロだった。
今思えば信じられないほど、情報を得ることが難しかった。

それどころか、レンタルビデオを返却した私がアランの顔を見たいと思っても、自分の記憶にアクセスするしか方法がないのだ。
スネイプを演じるアランの顔を繰り返し繰り返し思い出す。
自分の記憶だけが頼りだなんて、今思えばとんでもない状況だ。

そんな私に母がある映画雑誌を買ってきてくれた。
ハリー・ポッター特集が組まれていて、少ないながらもスネイプかアラン・リックマンの写真も載っていた記憶がある。
映画雑誌なんてものの存在さえもしらなかった私は、飛び上がるほどうれしかった。

そして、映画館に秘密の部屋を見に行き、購入したパンフレット。
短いながらアランの出演作もいろいろと載っていた。
ダイ・ハード」「ロビンフッド」「ドグマ」… 
レンタルビデオでそこに載っている映画を借りてきたり、映画雑誌を毎月購入して私はアランに夢中になった。

さらに、映画雑誌のさまざまな記事を読むにつれ、ハリー・ポッター以外の映画も気になりだしてきて、海外、特にイギリスへの憧憬で私の心はいっぱいになった。 
自力で映画館にも行けないような田舎に住む私の世界は、少しだけ拓けた気がした。
そして、アランの舞台をこの目で見ること。それが夢になった。

ただ、私は残念ながら無類の飽き性だ。

何か月も何年も同じ熱量でアランを追いかけていたわけではなかった。
映画雑誌を毎月購入していたのも2年ほどだった。
それでも家にネットが繋がって携帯電話を持って情報を格段に得やすくなったのもあり、年に数回はアランの最新の出演作を調べていたし、ハリー・ポッターの最新作は見に行っていた。

スウィーニー・トッドを映画館に見に行ったり、パフュームのレンタル開始直後にレンタルしたり、ラブ・アクチュアリーのパンフレットと小説版を買ったりもした。
たったそれだけのことかと思うかもしれないが、学生の身分でかつ飽き性の私が定期的にお金を使う趣味はアラン以外ほとんどなかったと思う。

自分の進路を決める時期、高校生ごろに本気のアランファンだったなら、私は文系に進んで世界史をとってイギリスや英語に関係する学部学科に進んでいたのかもしれない…とも思う。

大学生の頃もそこまで熱心なファンではなかったが、自由度は格段に上がったし、自分でバイトしてお金をためて海外旅行に行くという選択肢もあった。
しかし、ある偶然で閉鎖空間に長時間いることが恐くなってしまい、飛行機に乗ることを控えた。

私はいつの間にか働き始めていた。
あんなに憧れていたアランをこの目で見るどころか、イギリスにも行っていないのにいつの間にかOLになっていた。
でもまあ、いっか…とも思っていた。

そして、アランは亡くなった。

もちろん悲しかったけど、驚いたことに深い悲しみがわいてきたわけではなかった。
涙もでなかった。
ファンのはずなのにこんなに冷静でいられるんだな、会ったこともないから実感が全然わかないのかな、アランはあくまでスクリーンや画面の向こう側の存在だと思っていたのかも…そんなことばかり思っていた。

ただ、自分の行いには後悔した。
結局アランをこの目で見ることはなかったから。
とりあえず、飛行機に乗って好きな俳優を見に行こう、それでなくても海外旅行へは一度は行こう…と決心した。


ここまで書いてきたが、客観的にみると私はアランファンと言えるのか怪しい。
そもそも出演作もすべて見ているわけではない。
というかたぶん見ていないもののほうが多いし、インタビュー記事や動画もそこまで調べたことはない。

でも、人がどう思おうと、私は自分では間違いなく胸を張ってアランファンだと言うことができる。
なぜなら、彼の演技によって強く心を動かされ、知らなかった世界を探求することになり、出会って20年たった今の私の行動にも間違いなく影響を与えているし、何よりアラン・リックマンが好きだから。
これ、私の定義では間違いなく「ファン」と言ってもいいです。

海外旅行に挑戦したり、社会生活では必要のないTOEICを受けたり、いろんな海外の映画やドラマを見たり…これは間違いなく2002年にアラン・リックマンと出会ったからこそとった行動。
仕事や日常生活がつらいときもこれらの行動をとってストレスを発散して、今までやってきた。
彼がいたから、自分の時間を大切にしたり、プライベートでのちょっとした目標を持つことができたのかもしれない。


冒頭でも書いたが、履歴書を通して私という人間を見ると、平々凡々な人間に思えると思う。
ただ、私なりにある程度の挫折は経験したと思うし、努力もした。
平々凡々な人生も意外とハードルが高いんだなと感じている。

アランの経歴は客観的に見たら華やかだ。
平々凡々な人生でも大変なのに、表舞台で成功して世界中にファンがいるアラン、そこに至るにはどれほどの苦労や経験が必要なのか…私には想像ができない。

アラン・リックマンが苦労して経験をつんで生きていてくれたからこそ、私は今の生活を送れているのかもしれない。
ファンとして感謝するばかりです。